●動画をDVDに焼いてリビングで見ることの意味
パソコンで見ることが可能な動画を、わざわざリビングのテレビで見たいという欲求はパソコンの現時点での「限界」を示しています。
すなわち、いつウェブ上から消えるか分からない動画を、自分のパソコンの中に「保存」し、DVD-R等の確か(と思われる)なメディアに焼き(=より確かな「保存」)、リビングにあるテレビという日常の中で見たいということは、アンリアルなものをリアルな世界に移したい、固定したいという欲求です。
よく、パソコンは「能動的」に情報を得る装置で、ケータイやテレビは「受動的」であるというふうに言われます。
確かに、わざわざパソコンの前に座って、電源を入れ、クリックして・・・という一連の動作は、「能動的」でなければできないでしょう。
(その点、ケータイやテレビは生活している日常の中に、地続きなものとして存在し、情報に対して受動的であったとしても、その情報を得ることができます)
パソコンを前にした一連の動作は、現実世界(リアル)からアンリアルな世界に入るための手続きである、ということが言えそうです。
2つの世界の溝を埋める試みは、ITの現場(どこ?)で少しずつ始まっています。
例えば、2007年、某ITプロジェクトチームによって開発された「赤色灯for2ちゃんねる」(発売未定)。
ネット上で「祭り」が発生すると回転して知らせてくれるものです。
開発メンバーは
「今のインターネットってネットの世界とリアルの世界に隔たりがあると思っていて。(中略)だから時計を見るような感覚でネットで起こってることが直感的にわかるアイテムがあったらすごい便利なのかなーと。」
と、開発の動機について語っています。
パソコンの中の動画を、画質を劣化させてまでテレビに映したい欲求は、動画ひいてはパソコンというアンリアルな世界に対して感じられる「不信感」あるいは「不安感」から来ています。
その意味で、パソコンはいまだリアルな世界に溶け込んでないという「限界」を抱える存在なのです。
すなわち、いつウェブ上から消えるか分からない動画を、自分のパソコンの中に「保存」し、DVD-R等の確か(と思われる)なメディアに焼き(=より確かな「保存」)、リビングにあるテレビという日常の中で見たいということは、アンリアルなものをリアルな世界に移したい、固定したいという欲求です。
よく、パソコンは「能動的」に情報を得る装置で、ケータイやテレビは「受動的」であるというふうに言われます。
確かに、わざわざパソコンの前に座って、電源を入れ、クリックして・・・という一連の動作は、「能動的」でなければできないでしょう。
(その点、ケータイやテレビは生活している日常の中に、地続きなものとして存在し、情報に対して受動的であったとしても、その情報を得ることができます)
パソコンを前にした一連の動作は、現実世界(リアル)からアンリアルな世界に入るための手続きである、ということが言えそうです。
2つの世界の溝を埋める試みは、ITの現場(どこ?)で少しずつ始まっています。
例えば、2007年、某ITプロジェクトチームによって開発された「赤色灯for2ちゃんねる」(発売未定)。
ネット上で「祭り」が発生すると回転して知らせてくれるものです。
開発メンバーは
「今のインターネットってネットの世界とリアルの世界に隔たりがあると思っていて。(中略)だから時計を見るような感覚でネットで起こってることが直感的にわかるアイテムがあったらすごい便利なのかなーと。」
と、開発の動機について語っています。
パソコンの中の動画を、画質を劣化させてまでテレビに映したい欲求は、動画ひいてはパソコンというアンリアルな世界に対して感じられる「不信感」あるいは「不安感」から来ています。
その意味で、パソコンはいまだリアルな世界に溶け込んでないという「限界」を抱える存在なのです。